母が子宮体癌になってしまいました。
1月7日に宣告され1月17日に手術、1月24日退院と、物凄いスピードで治療が進みました。
1月7日
年が明け、仕事も2日目が滞りなく終わり、これは1月4日くらいから徐々に仕事モードに切り替えて準備していたのが、実務的にも気持ち的にも良かったのかな~、なんて考えていた1月7日の夜。
母から電話がきました。
話したいことがあるから、飯でも食べに来ないかという連絡でした。
その日は実家に夕食を食べに行き、他愛のない話をして、
「そうそう、話って何?」と切り出すと、
「検査入院で、1週間ほど家を空けるから父のことを宜しく」とのこと。
検査入院で1週間?
長くね?
何の検査??
とかいう、問答をしつこくしていたら、やっと真実が聞けた。
・病名:子宮体癌
・昨年、自覚症状があり、診察を受けた。
・受診した結果、一部細胞を摘出して、精密な検査をする必要があった。
・精密検査の結果、悪性であることが分かったのが今日(1月7日)
・直ちに転移の検査、及び手術の日程を組んだ。
とのこと。
全く予想していなかったことだった。
お恥ずかしい話だが、私は楽天家なのか、今まで癌の者がいない家系だったので、癌に関して、ほぼ無関心であった。
母は、まだ65歳だし、祖父母の介護は大変そうだが、孫の面倒もよく見てくれる元気な人だと思っていた。
(昨年12月の弊社スタジオ20周年記念時 一番右が母)
この突然の宣告。
癌という単語が持つ力。
冗談じゃなく、ガーンと頭をぶっ飛ばされた気分だった。
ホント、冗談じゃない。
一生懸命、家事、育児、スタジオ、介護、孫の世話と、自分のことを二の次に頑張ってきた母。
自分の為の人生を、謳歌できるようになってくれないと困る。
私は、まだまだ親孝行が足りないセガレなのだ。
1月14日
前の週に、全身への転移を調べるためにMRIとCTを撮影していたが、14日はその結果が分かる日だった。
母は父と一緒に結果を聞きに行くと言っていた。
私は午後に重要な会議の予定があったが、診察は昼前くらいの時間だったので、午前中の仕事を早々に片付け、病院に向かった。
姉も心配で来ていた。
長く感じる待ち時間の末、やっと呼ばれて診察室に入った。
担当医の先生は、母しか来ないと思っていたのだろうけど、父も姉も私も来ていて、少々、面食らっていたかと思う。
一次情報が欲しいのだ。大事なことだから。
MRI、CTの結果、転移はしていないだろうとの所見。
(実際に手術で開けてみて精密検査をすることになる)
手術で子宮と卵巣は摘出しなければならないけれど、悪いところを取ってしまえば、心配は少ないだろうとのこと。
不幸中の幸いだった。ホッとした。
転移していた場合、対処療法しかないのは分かっていたので、ある程度、どういう結果になっても残された時間を、幸せなものになるよう色々考えてはいた。
※万一転移していた場合でも、医学は日進月歩している。
例えば自家ワクチン療法といって、自分のがん細胞を利用することで、自分のがん細胞だけを狙い撃ちするようなワクチンを作ることができる。
子宮がんでは、30%程度の人が癌細胞が減少しているといった研究結果がある。
病院を出て、近くのパスタ屋で皆で昼食をとった。
何だか朝から食欲なかったが、転移がないとの結果を聞いたらお腹が空いてきた。
私はそのまま取引先との会議に向かったのだが、パスタ屋を出た時に、その日がとても快晴だったことに初めて気づいた。
1月16日
朝から東京医科歯科大学病院に入院した。
宣告から入院まで10日かかっていない、17日が手術なので、本当に凄まじいスピードで母のがん治療は進行した。
母の入院手続きと、病室への荷物の移動が済んだところで、私は仕事に戻ったが、姉が手術のリスクに関する説明を受けた。
手術は全身麻酔で行われる。
手術は明日の朝の8:30~正午くらいまで。
入院当日から下剤の投与が始まった。
1月17日
手術前の7:50ごろに母の顔を見に行く。
朝だったので、兄弟3人揃って手術室まで見送ることができた。
リスクの低い手術とはわかっているが、やはり開腹することや、全身麻酔のリスクを考えると、最悪の事態を考えないわけではない。
後から聞いたが、手術室に入っていく時、母は万一のことがあったら、これが見納めかもしれないという気持ちで、私たち兄弟3人を見ていたらしい。
私は一旦仕事に戻り、正午に病院に再度来たら、予定よりも早く手術は無事終了していた。
出血も少なく、がん細胞も筋肉部分に食い込んでいないらしい。
予定通りリンパ節までは取らずに、子宮と卵巣のみの摘出で済んだ。
摘出物はホルマリン漬けにされ、検査機関で精密検査を行い、がん細胞の浸食の程度を検査するが、執刀医が開腹時に目視にて確認した結果は、まず問題はないとのことだった。
良かった。
術後の母は、麻酔のせいで意識がかなり朦朧としていたが、父と私の顔は分かったらしく、小さい声で「ありがとう」と繰り返していた。
手術の成功を見届け、取引先に会議に行き、それも無事上手くいき、夜にまた病院に見舞いにいった。
少しは麻酔から覚めていたが、やはり色々な管が入っている母を見ているのは辛かった。
私も、正直、ヘトヘトに疲れていた。
夜に姉の家で、まずは手術の成功の喜びを父と兄弟、姪っ子と分かち合った。
1月24日
術後は、沢山付いていた管も、毎日外れていき、順調に回復していった。
手術から1週間での退院となった。
この日の午前中は仕事を休み、母を迎えに行った。
体力が回復するまでは、まだ時間がかかるし、完全に以前のような状態に戻れるのかは分からないが、再発のリスクが最少な状況までもっていった上での退院だと思っている。
今後
母は転移の有無がはっきりする前、自分に残された時間がもし短かったら何をしようか考えたらしい。
考えた結果、出てきたのは、孫たち(2歳~13歳の全員女の子)に、母が今まで生きていく中で身に着けたスキルを伝えたいという想いだったらしい。
だとしたら、それこそが、これからの母のライフワークなんだろう。
母の日々やっていた仕事の中で、大部分を時間を占めていたのが祖父母の介護だ。
祖父母の介護は、ヘルパーさんやケアマネージャさん任せにして、母は自分の回復とストレスなく人生を謳歌すること、あと、上記ライフワークをフォーカルポイントとして、楽しく生きていってもらえるよう、皆で協力していくことになった。
癌であるのに17日間でひと段落できたのは、かなり幸運だったと思う。
兄弟3人いて良かったと思った。それぞれ想いや意見は色々あるが、向いている方向は一致しているので、バランスよく最適な解を導き出しながら進むことが出来たと思う。
また、家庭持ちの私や姉にとっては、パートナーの協力なしでは、ここまで上手くいかなかったと思う。
一時、それぞれの家庭に負荷がかかったと思うが、それを姉の夫や私のカミさんが支えてくれたので、母に集中できた。
術後の治療は今後も続くが、まずはひと段落。
母、家族、兄弟、生と死について、考えた17日間だった。
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